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FEATURE
土井選手

4月11日、8日間に及ぶツアー・オブ・ターキーがトルコ・イスタンブールでの個人タイムトライアルを皮切りにスタートした。と、こう聞けば、サイクルファンなら「あぁ~スキルの土井ね」と彼の活躍にピンと来る事だろう。

ツアー・オブ・ターキーは、ベルギーでは、連日TVでの生中継が行われていて、土井選手の走りはとても誇らしかった。日本での評価よりもヨーロッパでの土井選手の評価の方が高いのは言うまでもない。 正直を言えば、ターキーを走っていたチームやメンバーを見れば、ツールやジロほどの派手さは無い。しかも、ジロで新城選手が見せた区間3位と言う数字を前にしてしまえば、日本のメディアというフィルターによって霞んでしまうかも知れない。しかし、別府選手と新城選手の2人がツールを走り、日本の多くのメディアに取り上げられていた2009シーズンだって、土井選手は堅実にプロとしての自分の立ち位置を見極め、ステップアップしていた事を思えば、ターキーで見せた土井選手のパフォーマンスもまだまだ夢の途中なのだ。
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2009年、スキル・シマノがツールを走る。そのニュースが流れたのが3月中旬。土井選手によれば、この時から「スキル・シマノの選手間で常にピリピリムードでした。皆、ツールは走りたいですからね。」だったそうだ。しかし、5月に発表された一次選考の中に土井選手の名前は無かった。ツール直前の6月上旬に行われたツールドルクセンブルグ(2.HC)では区間8位、総合成績19位とスバラシイ結果を残していても、やはり日本人2名が出場したツールドフランスというメディアが喜ぶ話題性には敵わず、大きく報道されることは無かった。

思い起こせば、僕が初めて土井選手を見たのは、2003年に広島で行われたU23全日本選手権。高校時代ライバルとされていた別府選手は、アンカーに所属しフランスへ。そして大学進学の道を選んだ土井選手は学連のレースを連勝し、自信を持って日本選手権でライバル別府選手との対決に臨んだ。しかし4分以上の大差をつけられて負ける。この時僕は少なからず『ほら見ろ、大学なんか行っている暇はないだろう...自転車選手になるならば...』と少し意地悪な感情を持って、このレースを観戦していた。それは、僕自身が大学や実業団チームからの美味しい誘いを断って、単身ベルギーにレース活動の場を求めて渡り、性格が多少歪んでいると言う事も少なからずあったと思う。
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しかし、土井選手は大学を辞めてしまう。驚きと共に『やるじゃないか...こいつ!』と思った。そして選んだ道が海外遠征も積極的に行っていたシマノ。アイサンでもミヤタでも無くシマノを選んだのは、彼の中でヨーロッパに行かなくては強くなれないと言う危機感があり、当時フランスを拠点にしていたアンカーに話をしなかったのはフミ(別府選手)がいたかららしい。シマノの選手として実業団レースを走った1年目、21歳にしてJ・Jカップ(今でいう実業団連盟が主催するJツアー)年間総合成績で3位に入り、22歳にしてスキル・シマノの選手としてオランダに渡った。

その年、80レースを走り、完走したのは4レース。屈辱的な敗北である。しかしヨーロッパにおけるプロレースの次元の違いは感じたが負ける気はしなかったそうだ。既にプロとして活躍するチームメイト達に対しても『絶対、こいつらに負けねぇ!』と思っていたらしい。

あれから6年。当時のチャパツでちょっと生意気だった若造は、今はちょっと大人になってしまったが、志だけはあの頃と同じ生意気な事を語っていた。今は脇役かも知れない。しかし、主役よりいい演技を演ずる脇役が多いのも事実だ。彼がこの先どんな役が与えられ、どんなステージに立ち、その時どんなパフォーマンスを見せてくれるのか、今後の土井選手から目が離せない。

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橋川健(はしかわ けん)
チーム ユーラシア - ムセウ バイクス 監督
ベルギーでアマチュア4年、プロ7年、合計11年の競技生活を送ったのち、昨年か らベルギーに移住。選手たちのサポートを行っている。最近の悩みはまた走りた くてウズウズしてきた事。1970年生まれ。身長180cm、体重70kg。足のサイズは 28cm。山本君とは兄弟と間違われる事も・・・
   
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